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小石川の家  11/02/2007  
小石川の家小石川の家
(1994/08)
青木 玉

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『小石川の家』青木玉

1994年に出版された随筆。
著者の青木玉は、明治の文豪、幸田露伴の孫にして、
その娘、幸田文の一人娘。
内容は、幼少の頃の祖父である幸田露伴と母、幸田文の思い出。
小石川にあった家で育った玉の思い出が詰まっている。
エッセイじゃなく、これは随筆、と呼ぶに相応しい作品。

確か10年ほど前にこの本を読んだ、と思う。
題名はインプットされてたのだけど、
内容はすっかり抜け落ちていた。
覚えていたのは、あまり気の効かない主人公の玉子と、
気難しい暴君の祖父、露伴。祖父に従順で、
娘らしく気を利かせる母、文とのやりとり。
だけど、忘れていた。

それが、最近どこかの読書ブログで、「小石川の家」が
憎しみの文章である、というのを読んで、
(はて?そうだったっけ・・・)と思い、
図書館で借りてきた。憎しみ、と、端的に表現できるような
内容だったら、自分も覚えているのだけど。
覚えているのは、読んだ(だろう)ということと、
この本が、幸田露伴と幸田文に関するものということだけ。

あらためて読んで思ったこと。

祖父の幸田露伴の頑固でそして偏屈で暴君な、
まさに旧石器時代(失礼な!)の明治生まれな男なところ。
そして、それに従順でありながらも、父に従わざるおえない母。
この本だけを読んだら、どうしてあの暴君の幸田露伴に
娘の文が、あそこまで尽くすのかわからないのかもしれない。

自分は、幸田文の本が好きであれこれ読んでいたので、
幸田文がいつも父から褒めてもらいたかったこと、
自慢の娘になりたかったこと、そしてそれが叶わなかったことなど、
父と娘の間の葛藤について読んだことがあったので、
この随筆を読んで、その祖父と娘の関係が理解できた。
不器用で、そして他人の気持を、特に家族の気持を顧みない
幸田露伴が、彼なりの愛情を慮れる場面もいくつかあり、
ただ単に、孫の青木玉が祖父の幸田露伴の思い出を
憎しみでもって語っているわけじゃないと、自分は思う。

随筆が書き取る時代は、まだ戦争が悪化していない時期の日本。
小石川で暮す露伴と文、そして玉子の生活。
幼き日に祖父と貝殻あわせを、そして弓をいって遊具を作ったり、
法螺貝を吹いた思い出。祖父の下に訪ねてくる文豪や本屋の人々。
客人への御もてなし。
そして、時代は戦争時期に移り、空襲が酷くなるさなか、
一家で疎開をする場面が出てきて、戦争が終わった頃、露伴が亡くなり、
その回想と共に、時代が一気に流れ、母の文の死で終わる。
いってみれば、一冊に書かれたのは、祖父と母の思い出である。

随筆の後半、露伴の死に関し、著者が
露伴全集の終わりの巻に収められた「愛」という一編について語っている。
これは、露伴、文、そして玉子の生活で起こったある出来事から
書かれた一編であるが、そこに書かれた内容を、
著者は母の文が亡くなるまで恐ろしくて読めなかったという。

・・・・・・・・・・・・

人との繋がりは常に愛憎ともにあると母は言っていた。
それを悟らせたのは祖父であろう。
耐え得たものだけが知るところである。
愛という、この美しく人を和ませ、慕わせ、迷わせもする言葉の
極まった姿に対して、私はあまりに弱く幼くて思考及ばず、
畏れだけ得たと思う。

・・・・・・・・・・

この「小石川の家」が書かれるようになったきっかけは、
著者が祖父、幸田露伴の思い出について聞かれた時に
「露伴先生はやさしいお祖父様だったんでしょうね」
といわれたのに対し、少女時代の、露伴に叱られた思い出を
語ったことから、一冊にまとめられるようになったという。

ここで書かれている祖父、露伴の姿は、優しい、などという
形容詞だけで表されるものではない。
心許せる身内だからこそ、その風当たりは強く、
時に憎しみと思われるような酷い仕打ちをも、してしまう。
その家族の中に流れている愛憎の記憶、これが綴られている。

概して人は、時が過ぎ去ってしまえば、良い思い出しか残らないという。
生きている時はどんなに酷い人だったとしても、
死んだ後は、その人との良い思い出や良い一面を強調して語るように。
しかし、この本にはそういうぼやかしはない。
良い思い出よりも、叱られた思い出、悔しかった思い出が多い。
美化するのではなく、きちんと見定めて覚えておくっていうのは
なかなか難しい、特に故人にまつわることについては。

不器用な家族、と幸田家のことを思うが、
不器用って言葉だけからははみ出すほどの、なにかがある。
虐げられても、報われなくても、実父に尽くす文の姿や
病気の文を心配する心から貶す言葉しか出てこない露伴。
そして、祖父に叱られることを恐れながらも、
いつも失敗してしまう孫の玉子。
祖父や母が偉大なる作家だといって、それがそのまま、
家庭内での姿であるわけない。そんな当たり前のことが書かれてて
読むと、少しほっとしたりする。

熱く語ってしまった・・・。

今回、この随筆は文庫化されてて、手に入れやすい値段でも
売っているのだけど、あえて、紹介用にアマゾンの方では
ハードカバーの方を選んでみた。

だって、こっちの装丁の方が、凄く素敵だから。

小石川の家には、大きな椋の木が道まではみ出してて、
ついでには、2階にあった露伴の自室の窓からは、
椋の木がすぐそばまで枝を伸ばしてて、それはそれは、
周りの雑多な風景を緩和してくれていたらしい。
幸田文も「自分の庭」として、小石川の家の庭を愛した。
そんな庭を描いたのが、この表紙。
水墨画に木々の緑をひいているのが、しっとりと情緒があって、
さすがは風流人の露伴の家だわ~って思える。
文庫本の表紙も素敵(これの色違い風)なんだけど、
やっぱり、「小石川の家」の記事と共に出したいのは、こっちの装丁かな。

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