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密やかな夜  10/07/2008  





******** 密やかな夜 *********








夜中に目が覚めたら
執事服を着替えぬまま
あたしの手を握った恋人がいた。



「きょう、大丈夫かい?」

「樫原さん・・・」


サイドボードの明かりだけがついてる。
薄暗がりのなか、樫原さんがあたしの顔を覗き込んだ。


「少し水飲める?」


うん。


じゃあ、ちょっと起きようか。



眠っていたあたしの背中に
手を入れて、少し起してくれた。
背中にクッションが入れられる。

まだだるくてぼんやりしているけど
そこにいるのは、あたしの恋人で
いつも優しくしてくれる人。


(逢いにきてくれたんだ・・・)

じんわりと喜びが胸を押し寄せてくるのがわかる。


樫原さんが、そばに置かれた水差しから
コップに水を入れて差し出してくれる。


ありがと。

水は美味しかった。

冷えすぎてもいなくて。
飲み始めると思っていた以上に
喉が渇いていたことに気がつく。


こくこく。

飲み終わったコップに
もう少しいれる?と
樫原さんが水差しから
またお水を入れてくれた。


・・・だいぶ眠っていた気がする。



ぼやける視界に目をぱちぱちさせながら、
樫原さんのほうを見つめると
樫原さんもあたしのことを見つめていた。


その瞳は、すごく心配そう・・・。



「倒れて夕方からずっと寝てると中岡から聞いたんだ」


「うん・・・・」


飲み終わったコップを樫原さんがゆっくりと取る。
そしてあたしの手に手を重ねて、ゆっくり撫でてくれる。


「起してしまったかな?」



「ううん、丁度目を覚ましたところだったから大丈夫だよ」


ふと時計を見ると深夜を回っている。

・・・もしかして、樫原さん。
お仕事終わった後、そのままこの部屋に来て、
ずっと付いててくれたのかな?
執事服のままだから。
いつも夜、逢いにきてくれるときはきちんと着替えてる。



「お薬は?」


「夕食食べたあとに中岡さんが持ってきてくれた」


身体のだるさと共に胸が苦しかったり、
頭痛がしていたので
中岡さんから頭痛薬をもらったんだ。
眠る前は頭痛が激しくて
気持ち悪くなっていたけど
薬を飲んで眠って、起きた今。


だいぶ頭痛は治まっている。
ほんのちょっぴり、痛みがあるぐらい。


「そうか。本当だったら私が持ってきたかったんだけど・・・・」


「大丈夫だよ、樫原さん」



そう言って、あたしは微笑んだ。
樫原さんが忙しいこと、あたし、わかってるもん。


「身体のだるさはどうだい?」


「・・・・まだ胸が苦しいかな」



握った手のひらから温かさが伝わる。
それと共に、眠ってて乱れた髪の毛を
樫原さんが優しく整えてくれる。



その仕草が気持ちよくて目を閉じて応えた。




いつも、こう。



少し無理をして頑張りすぎると
身体がだるくなって微熱を出して胸が苦しくなる。
頭痛もしてくるし目の前もぼーっとしてきて
眠らないで頑張っているとそのうち、倒れてしまう。


そういうあたしの身体のことを
よく知っている樫原さんだから
いつも優しくしてくれる。無理しないでいいよ、って。


髪の毛を撫でる手から。
手の上に重ねられた手から。
樫原さんの優しさが伝わってくる。


「昨日の夜、あれから寝なかったのかい?」


「え・・・?」


「中岡から聞いたよ。テスト勉強で夜遅くまで起きていたとか」


「あ・・・・それは・・・」



今日、テストがあるからって昨日の夜、夜更かしをした。
ううん、その前の日も。
だって、白凛学園に来てから何度目かの試験だけど、
毎回成績が振るわなくて・・・。


あまり成績のこととか
義兄さんや姉さんはいわないんだけど・・・。
あまりにも悪い点数を取って
樫原さんに知られるのは恥ずかしいから。
いい点数取ったら樫原さんが褒めてくれるだろうなって
そう想像していたら、頑張りたいなってテスト勉強に励んだの。


樫原さんはお仕事終わったあとに
必ず部屋に逢いに来てくれる。

昨日の夜も、逢いにきてくれた。
日付が替わったころの時間で
もう寝なさい、と樫原さんに言われた。


いつも通り樫原さんに甘えてちょっとお話して、
テスト勉強を見てもらった後
おやすみなさいのキスをして
樫原さんは帰っていった。


でも、あたしはそのまま寝ずに
あれから勉強したんだよね。


だからかな。


今日のテスト中に気分が悪くなって
頭痛がしてきた。


(これはやばいな・・・・)


テスト終了後にはぐったりしてた。



だから、専属執事の中岡さんに
電話をして迎えに来てもらった。
中岡さんは優しい人だから、
電話をしたら、真っ青な顔をして
すぐに着てくれた。

(中岡さんのほうが何かあったような顔色だよ)


そう茶化したら、
中岡さんがすごく心配そうな顔をした。


(ごめんね、中岡さん)


あたしの恋人は樫原さんだっていうのに
いつも傍にいてくれる中岡さんは
本当に恋人のようにあたしのことを心配して
大事にしてくれる。


その気持ちはありがたいんだけど・・・。


ふらつくあたしを遠慮無しに抱きかかえようとするから
学校の廊下で(!)人目もあるし、と
どうにかその手を掴んで車まで乗せてもらって。


一緒に後部座席に座ってくれた
中岡さんの膝に頭を乗せてあたしは目を閉じた。


気分が悪くて
くらくらするのを押さえながら。




樫原さんには電話しないで。


そう頼むので精一杯だった。


電話したら
絶対に樫原さんが心配してしまうから。

今日も義兄さんと一緒に仕事にでてる。
そんな心配をさせてもすぐに戻ってくるわけじゃない。



余計な心配はかけたくない。




こうやって体調が悪くなるのは
あたしにとってはいつものこと。
心配をかけて負担には想われたくない。




樫原さんには電話しないでね。


再度、念を押すあたしを
中岡さんが少し悲しそうな顔で見つめていた。


心配かけてごめんね。


いつも傍にいるから、中岡さんはこんなあたしに
しょっちゅう遭遇しててとても心配をかけてる。
中岡さんには遠慮なく心配かけられるのに
樫原さんにはそれが出来ないと想う。




(ごめんね、中岡さん・・・・)





ご無理はなさらずに。



そう中岡さんが優しく言いながら、
車の中で横になったあたしの頭を
優しく撫でてくれた気がした。












―---それから、あまり覚えてない。


とりあえず部屋まで戻ってきた。
部屋について中岡さんに手伝ってもらって
着替えをした後、ぐったりと寝ていた。



食欲が無いと言ったら
中岡さんがおじやを持ってきてくれた。
でも、そのおじやでさえ食べるのが億劫なぐらい
だるくてしょうがなかったから
食が進まないあたしに中岡さんが
ご飯を食べさせてくれた。


いつも、こうやって甘えてしまう。


でも、甘えてしまうけど
中岡さんはあたしの恋人じゃない。


不思議だな。

そう想いながらも、中岡さんが差し出すスプーンから
おじやを少し食べてお薬を飲んでまた寝た。




「・・・・今日、テストだったから勉強しなきゃって想ってそれで・・・」



頑張ったけど肝心のテストの時に
気分が悪くなっちゃって
結局問題を上手く解けたかわかんないや。


思わず笑ってごまかしてみた。


だって、樫原さんがすごく悲しそうな顔で
こっちを心配しているのがわかるから。




(そんなに心配しないで)


そう言っても、あたしの身体は
あたしが思うようにいかないことが多くて。


「・・・中岡に、電話しないようにと言ったとか」


「あ・・・・・・」


中岡さん、それを樫原さんに言っちゃったの・・・?!
思わずどうフォローしていいかわからなくて。
黙ってしまった。


樫原さんが目を伏せる。


「心配かけないようにお嬢様が気を使っていらっしゃいました、と中岡が報告してくれたよ」


聞けば、すごく体調が悪くて
早退してきたというじゃないか。
それも食欲が無くて中岡から
食べさせてもらったというのも聞いたよ。



どうしていつもすぐに頼ってくれないんだ?



そう哀しそうに問われて、
あたしは何も言えなかった。






「・・・・樫原さんに心配をかけたくなかったの」






だって一番好きな人だから。
あたしの良いところだけ見てて欲しい。

心配してもらうと・・・・

その心配している顔を見ると、
あたしの方がもっと辛くなるの。


樫原さんはいつもお仕事大変な人だから。
心配かけたくないの。
これ以上心配して欲しくないの。





「・・・・それは、僕が君の事を負担に想っていると思っているということかい?」


「ち、違う、そうじゃなくて・・・」

「君の心配をするのは、いつだって僕の最優先事項だから」



「樫原さん・・・・」



「心配ぐらいさせて欲しい」



心配するのも恋人の特権だと思わないかい?




そう言って、樫原さんがぐいっと
あたしの方に身を乗り出してきた。
思わずその仕草にドキッとする。



「樫原さん・・・・」


すごい至近距離で見つめられ
ドギマギするあたしに樫原さんが声を潜めて囁く。





いつも中岡が君の世話を焼いてることに
嫉妬している僕にこれ以上嫉妬させないでくれ。



「え・・・・?」



思わず目を丸くして樫原さんを見つめた。
その言葉の意味であたしはドキっとした。


「現に今、中岡が君の恋人みたいに世話を焼いているだろう?」



樫原さんがそう耳元で問いかけるように言う。
怒っている声でもないし不機嫌でもない感じ。
でも、ちょっと寂しそうな心配しているような感じ。




「あ・・・でも、それは中岡さんがあたしの専属だから。」


ちょっと言い訳がましく言った
あたしの頬を樫原さんが撫でる。



「樫原さん・・・・嫉妬してるって・・・?」



思わずドキドキして訊いてしまった。
樫原さん、中岡さんに嫉妬してるの?
え・・・?




思わず言ってくれた言葉の意味が
あまりにも予想外だったから
あたしはドギマギしてしまった。
そんなあたしに樫原さんが
少し溜息をついた気がした。


え・・・?
あたし何か悪いこと言ったっけ?



「わからないのかい、きょう?」


目を覗き込まれるように
樫原さんから問われると。
ドキドキしてしまう。




自分の恋人が他の男に頼ってるのを見て
嫉妬しない男がいると思いますか?



丁寧な口調なのにそう甘い言葉を言われると
どうしていいのか・・・わからなくなっちゃう。


「わ・・・わからなく、は、ないよ・・・?」


多分顔が真っ赤だ。

すごく恥ずかしいから。
ドキドキしちゃうから。




そんな・・・それくらい
樫原さんがあたしのことを
好きでいてくれるっていうのが嬉しい。



(あたしも樫原さんのこと好きだよ)



小さく呟いた声を樫原さんが
ちゃんと聴いててくれる。


好きだって言葉さえも口から出した途端に
恥ずかしすぎて、もうそれだけで
倒れてしまいそうになるあたしを
樫原さんはちゃんと知ってるから。
いつも甘えるように小さな声で好きだと伝える。

そんなあたしを樫原さんは許してくれる。

案の定、あたしの小さな呟きを
聞き取った樫原さんがくすっと笑ってくれた。




そして、左手の小指を出してきた。


え?


何も聞かずにあたしの小指と結ぶ。



「今度から体調不良のときは中岡じゃなくて僕の携帯に電話するように」

約束ですよ。


思わずその行為より
その言葉でびっくりしてしまった。


「え・・・・でも、樫原さん、義兄さんと仕事に出てるから、電話しても迎えに来れないよ?」


目を丸くしたあたしを
ふふっと樫原さんが笑う。


「義妹を大事に思っている慎一郎様がその知らせを聞いて、僕を帰さないわけはないだろう?」


「あ・・・」

思わず顔を見合わせて笑う。


確かにそうだね。
義兄さんだったら、そんな連絡をもらった
樫原さんをすぐさま帰すに決まってる。
だって、あたしと樫原さんが恋人同士になったのを
一番喜んでくれたのは義兄さんだったから。


勿論・・・少し嫉妬してたみたいだけど
さすがに自分の片腕の樫原さんだったら
あたしを任せることが出来ると、
数日後には機嫌直してたから。





「きっとそういう連絡をもらったことを、樫原さんが言ったら、義兄さんまで一緒に帰ってきちゃうね」


「ええ、慎一郎様も心配で帰ってきますよ」


2人でくすくす笑った。


「だから、きょうは余計な気を使わずに、そういう時はすぐ僕に連絡するように」



念を押されて、あたしはその強引さに幸せを感じる。
命令されるみたいな強引さは、樫原さんが
あたしを愛するが故だと知ってるから。
包み込まれるような優しさを樫原さんから感じる。






付き合うときに言ってくれた言葉。



『全てから君を守りたいんだ』


その言葉を樫原さんは忘れてない。
きちんと守ってくれて・・・


あたしをいつも包み込んでくれる。
それがすごく暖かくて嬉しい。



「もう遠慮せずに今度からは樫原さんに連絡するね」


そう告げたら、樫原さんが
いつものように笑ってくれた。




―――その笑顔を見ていたら、
あたし、わかったの。



この笑顔に、今日一番逢いたかったって。

優しくしてくれる介抱してくれる中岡さんじゃなくて
こうやってあたしを見つめて優しく微笑んでくれる
樫原さんの笑顔が欲しかったんだって。


その笑顔で元気になれる。




それがすごく不思議。
大好きな人の笑顔だからかな。



「樫原さん」

「どうした?」

「・・・・今日、すごく樫原さんに逢いたかった」


甘えも全て受け止めてくれる。



「毎日会いに来てるじゃないか」

「うん」


(2人っきりになりたかったの)


そう思ってあたしは
じっと樫原さんの顔を見つめていた。
樫原さんもあたしのことを見つめてくれる。
とっても優しい瞳で。


(僕だってそうだよ)



夜の時間で何も物音はしない。
でも樫原さんの声が
聴こえてくる気がした。






部屋には樫原さんと
あたしの2人きり。

薄暗い中でも樫原さんの姿がちゃんと見える。
こうやって夜の時間にこの場面ってすごく
時間が止まったみたい。
そんなことを感じてたら、
樫原さんが急に座っていた椅子から立ちあがった。




「じゃあ話は終わり。もうそろそろ眠るといい」



そういって、あたしの頭の上に
手をぽんぽんって載せる。


「え?やだ!」



思わず条件反射で言ってしまった。
帰ろうと立ち上がった樫原さんの手を
ぐいっと掴んだ。


「え?」


思わず大きな声で言ってしまったのを
樫原さんがびっくりしている。


あたしも・・・そんな大きく
自分が「嫌だ」っていうなんて
思わなかったから、
かーっと頬が赤くなるのがわかる。



「だって・・・せっかく樫原さんが来てくれたのにもう、こうやってすぐに眠るなんてもったいない・・・もん」


少し言い訳交じりになってしまった。


「きょう・・・」



沢山眠らないと身体の辛さは治らないってわかってる。
でも、気持ちはそうなの。
まだ樫原さんと一緒にいたいの。



「もう少しお喋りしようよ」



だめ?


そう上目遣いで聞いてみる。
立ち上がっている樫原さんの表情が
よく見えないけど、少し困ったように
そして嬉しそうにも見える。


「・・・きょう」


「・・・・はい」


「お喋りなら明日にでもできるから、さあ、眠って」


・・・・いつもだったら
わがままを聞いてくれるのに。


「ヤダ」


即答で返してしまった。


さっきまで、嫉妬するとか
すぐに電話するようにって言ってくれてたのに
話が終わったからって
すぐに帰るのは寂しいよ樫原さん・・・。



そんなことを、全て伝えることが出来ず
あたしはただ口をへの字に曲げるだけだった。
ふくれっつらをしたあたしに
樫原さんがくすくす笑う。


「きょう?」


「・・・・樫原さんの意地悪」


「ふふ、意地悪なんかじゃないよ」

「意地悪だよ」

「そうかな?」

「うん、そう」




さっきまで、樫原さんのほうが
あたしの傍にいたいって感じだったのに
今はあたしが樫原さんに帰らないで、って頼んでる。
そして、頼むように仕掛けた樫原さんの
小さな悪戯があたしからすると、意地悪に思えた。

うん、甘い意地悪。


だから、拗ねてみるの。
樫原さんがきっと許してくれるってわかるから。
甘えたくて。わざと「意地悪」っていうの。


案の定、樫原さんが
仕方ないなって感じで苦笑する。




「ほら、きょう、機嫌直して」


そう言って今度は
あたしのベッドに腰掛けた。



横向きで抱きしめられる。



拗ねているあたしと
機嫌直そうとしている
優しい恋人。
優しくふわっと抱きしめられて、
あたしは樫原さんの背中に手を回した。




ちょっとだけ強く
樫原さんの執事服を握る。
今日、まだもう少し一緒に居たいんだって
気持ちを込めて。抱きしめられながら、
目を瞑ると樫原さんの香水の香りがする。


一番安心する香り。
大好きな匂い。


すごく甘えたくなって。
胸の中が切なくなって。
樫原さんの名前を
小さく呟いてみた。


その呟きが聴こえたのか
樫原さんが優しくあたしの
耳元で囁く。




「しょうがない子だな」




その言葉が少し嬉しそうで
そして甘くて
あたしはすごく嬉しくなる。


いつもあたしを甘やかしてくれる恋人。



この言葉が聞けたら、
きっとその次に言う言葉は
あたしを甘やかしてくれる言葉。

樫原さんの腕の中に包まれて
あたしは甘えるように
樫原さんの胸に顔を寄せた。












そんなあたしを
樫原さんが抱きしめながら
髪の毛を撫でる。


「きょう、おとなしく眠ってくれたら、君のわがままを1つだけ聞くよ」


「樫原さん・・・・」



ふっと顔を上げると
やっぱり優しく見つめてて
その瞳に吸い込まれるように
あたしは何も言えなくなってしまう。


いつだって、樫原さんは
あたしのわがままを聞いてくれる。
わかっているのに。
こうやって言われるとまた、わがままをいうの。



「さあ、君が喜ぶことを何か1つやってあげる。何がいい?」



「え、えーっと・・・・」

くすっと樫原さんが笑った。






「あたしは・・・・樫原さんが今晩ずっと傍に・・・」



いつも樫原さんは
おやすみなさいの挨拶をしたら
自分の部屋に帰ってしまう。


泊まったりすることもない。
だって・・・・
まだ一緒に朝を迎えたことが無いし
それに樫原さんからは
あたしが大人になるまで待つといわれてるから。



ずっと一緒に朝まで。



この願いは無理ってわかってる。
それは、わがままをきいてあげると
言われても、無理なことだと知ってる。



だから、言葉を濁してしまった。




思わず我に返ったように
樫原さんにわがままをいうより、
やっぱり今日は・・・と思って。

我慢しようと思った。


もうこんな時間だし、
樫原さんだって疲れてるだろうから
部屋で眠りたいよね。

ここで一晩っていったら、
きっとあたしのベッドでは
寝てくれないでしょう?


だからいいよ。
わがままきいてくれるって
言ってくれただけで充分って言いかけてすぐ。



樫原さんが、そのあたしの言葉が
唇から出てくるのを指で押さえた。




「それがきょうの望みですか?」



「え・・・?」




思わず訊かれて頷いた。
すると樫原さんはいつもの笑顔で
ふわって笑ってくれた。


「じゃあ、今日はきょうの傍で眠りましょうか」


一緒のベッドには
まだ眠れないので
ベッドサイドで手を握っててあげますよ。




歌うように優しく告げる。



思わずびっくりしてしまった。


「え!!??」



「え・・・?って、きょう」


樫原さんが苦笑している。



「驚くことはないよ。きょうの願いだったらなんでも叶えてあげたい」


それが恋人である
僕の甘やかし方です。


・・・・でも
一緒のベッドに眠るのは
まだまだ先の約束だから。
とりあえず、今日は手を繋いで眠ろう。

いつかは、きっと。



思わずその言葉に
心が絡め取られた。

その言葉の意味も。
樫原さんの想いも。


「樫原さん・・・・」


嬉しくてじっと見つめたら、
樫原さんがにっこり微笑んで、
あたしの頭を優しく撫でてくれた。


「さあ、きょう。眠る時間だよ」

ゆっくりとあたしの背もたれにしていた
クッションを引き抜きながら、
ベッドに寝かせてくれる。



「・・・ドキドキして眠れないかも」


これは本当。

だって、ただ手を
繋いでくれてるのもそうだけど
こうやってすぐ傍に樫原さんが
いてくれるなんて・・・・。


あたし、本当に眠れないかも。


赤くなっているあたしを見て
樫原さんが、意外そうな顔をする。




「そうですか。それなら、やっぱり僕は部屋に帰りましょう」


僕が傍にいたら
きょうが眠れないってことですからね。
寂しいですけれど、
眠れないのなら部屋へ―――



「あー!!だ、ダメダメダメダメ!!!」




慌てて否定する


「そ、そうじゃない、そうじゃないから!!ね、眠るから、大丈夫だよ!!」


「眠れないって言ったじゃないか、さっき」


からかうように樫原さんが言う。


「だ、大丈夫、一生懸命眠るよう頑張るから!!」


それに、頭痛薬が効いてきて
ちょっとしたら眠れると想・・・・・

そこまで言ったときに
樫原さんがくすくす笑い始めた。


え・・・?


「きょう、本当に君はかわいいよ」


ええ・・・・?!!!


「思わず慌てる顔を見たくて意地悪してしまった」
帰って欲しくないと言って欲しくて。



そう言われてみれば、
帰ろうかな、と言ったときも
樫原さんはあたしの手を
ぎゅっと握っててくれた。


・・・・あ・・・・。


あたし、からかわれたんだ。
樫原さん、ひどいよ、
本気にしちゃったよ!と
拗ねて口を曲げてみた。


そんなあたしの唇に
樫原さんがキスをする。
そっと触れるようなキス。



きょう、ごめん。

帰るつもりはないから安心していいよ。
ほら、手を握ってるだろ?



そういって樫原さんが
あたしの頭を抱きかかえるようにして
今度は髪の毛にキスをした。





「さあ、どこが痛いのか教えてごらん?」

痛いところにキスしてあげるよ。



痛みがなくなったら
すぐに眠れるだろう?




そう言いながら、樫原さんが
あたしの髪の毛にキスをする。


抱きかかえられた頭が
抱きすくめられた体が熱くて
思わず目を瞑った。


「ここが痛い・・・?」

うん・・・ちょっと頭も痛い。
そうっと、こめかみにキスをされる。

「ここも痛いかな・・・?」


額にも。
何度も繰り返されるキスに
あたしは目を閉じた。
そのキスが優しくて。
味わいたくて。


「可哀想に。頑張りすぎて倒れてしまうなんて」


代われるものなら
代わってあげたいよ。



優しい言葉があたしに降り注いで。
それだけで幸せを感じる。




今も胸、苦しい?

・・・・・うん。


そう応えると、きっと・・・・。



樫原さんの指が丁寧に
あたしの上着のボタンを
1つ、2つ、外していく。
その1つ1つの動作に
ドキドキしながら。



ぎゅっと目を瞑って
次に来るだろうことを待っていたら。



樫原さんがくすっと笑うのがわかる。


「そんなに緊張しなくても」


「だって・・・・」


胸元にキスされながら。
ドキドキしすぎて。

(心臓に悪いよ・・・)



「痛いところに口づけるだけだよ」



そういって、優しく樫原さんが
ボタンを開けて少し見えている
あたしの胸元にキスをする。


それがすごくドキドキする。
それ以上・・・・はないのに。
わかってるけど、ドキドキする。


(樫原さんってやっぱりひそかに意地悪だ)



そう拗ねながらも。
樫原さんのキスが気持ちよくて
あたしは目を開けることが出来なかった。



気がつくと、胸が苦しいって
言っていたのさえ
吹っ飛ぶかのようだった。


(ドキドキしすぎて、別の心臓病になっちゃうよ)

そんなことを考えてしまう。



沢山キスされているうちにぼーっとしてきて、
頭の中をズキズキと走る痛みが遠のいてきた。
身体の力が抜ける。
沢山のキスをしてくれた唇が
唇に戻ってきた。


ちょっとだけ顎を持ち上げられて
樫原さんの密やかな息が
あたしの顔の近くでする。
目を開けると
樫原さんがあたしをじっと見てる。



もう、執事のときの顔じゃない。
恋人のときの表情。


甘くて。
大人で。
優しくて。
あたしをいつもふんわりと包む。



胸の奥まで見透かされるような
その視線のまっすぐさに
目を細めた。


樫原さんのことがすごく好き。


「・・・・目を細めているのは、唇にキスして欲しいからかい?」



そう小声で訊かれて
答えるよりも先に
唇に優しくキスされた。



「樫原さん・・・・」



呟く言葉さえキスされる。


たまにしてくれる大人のキス。


絡まる舌に言葉を取られて。
声にならない声が零れた。








何度も繰り返されるキスで
頭がボーっとしてきた時。


不意に唇が離れて、
樫原さんがあたしをベッドに
優しく押し戻した。


「さあ、お眠り、きょう」


「樫原さん・・・・」


なんだか物足りないよって言おうと想ったけど、
でも、さっきのキスで満たされてしまった。
布団から出ている手を優しく握ってくれる。


「手を握ってるから」


もう片手であたしの額に
かかった髪の毛を優しく撫でた。

優しく微笑んでくれる。


この優しさを独占しているのは
あたしだけだ。
そのことがとても嬉しい。


「今度目が覚めたら、身体の辛さは消えてなくなってる」


額に置かれた手の温かさが
気持ちよくて、そっと目を閉じた。



よく眠るんだよ。
疲労回復には眠るのが一番。

あまり食欲が無いって聞いたから
明日の朝ごはんは
きょうが好きな果物を準備するよ。




「中岡さんは?」


さあ?


思わず笑うように樫原さんが言う。


うん、きっと。
明日は、中岡さんじゃなくて
樫原さんが傍にいてくれるんだと思う。
さあ?って答えた樫原さんが
やっぱり「樫原さん」だなと思った。


そんなところさえ愛しくと思うの。

胸が潰れる切なさとかじゃなくて
満たされていく、何かで。
温かい気持ちで。



「明日もまだ具合が悪かったら、樫原さん、側に居てくれる?」


「勿論だよ」

執事のときみたいな返事で
あたしは思わず笑った。



「侑人さん」


この人に思いっきり甘えたくて。
握られた手をぎゅっとして
そのまま、自分の布団の中に引き込んだ。

帰らないで、って印。


「うん?なんだい、きょう」


下の名前で呼んだからか、
樫原さんが嬉しそうにしているのがわかる。
照れるから何度も呼べないけど・・・・。



「ありがと」


その言葉で侑人さんがくすっと笑うのがわかる。


「お礼を言われるようなことは何もしてないよ」


「ううん・・・。侑人さんがいてくれたら、なんでも大丈夫なんだ」


だから・・・・。
ずっと傍にいてね。


そう告げようと想ったけど
もうなんだか、いきなり
薬のせいなのか眠くて瞼が重い。
まだ身体のだるさとか辛さがある。


でも倒れたときや、
侑人さんが来てくれたときより
ましになってる・・・気がする。


侑人さんの魔法?


きっとこんなに侑人さんのことが好きな
あたしにしか効かない魔法だと思う。


そう思うと、すごく幸せな気持ちになった。



キスするだけで、
あたしの傷みや疲れを
取ってくれる人。

大好きな人。

本当に大好きなの。


もちろん。
それで全て無くなるわけじゃないけど
でも、そう感じるの。



「侑人さんがあたしの恋人でよかった・・・」


心からそう思う。



いつも傍に居てくれて
優しい中岡さんでもダメなの。
優しくしてもらうだけじゃ
こんな気持ちにならない、きっと・・・。



大好きな人じゃないと
癒されないの。


身体の辛さとか痛みとか
全て忘れさせてくれるのは
あたしが侑人さんのことを
とても好きだから。



勿論、侑人さんもあたしと同じくらい
ううん、それ以上にあたしのことを
愛してくれてるから。



だから・・・・。





瞼が閉じる直前。
優しい言葉が耳元で囁かれる。



「きょう。僕は君だけの恋人だから、これくらい当然だよ」





「それに・・・・・」



―――それ以上の言葉は聞こえなかった。




でも、それに続く言葉はわかってる。






(――-それに傍にいたい気持ちは僕も一緒だよ)




きっと侑人さんだったら
こう言ってくれるはず。



半分夢の中であたしは樫原さんの言葉を聞いた。


安眠できるようにって
部屋に焚いてくれたアロマの香りより。
あたしのベッドの傍で手を握っててくれる
大好きな人の香りのほうが
心と身体を癒してくれる。



夜の帳がこの部屋にも訪れて。


静かな時間を刻む時計の音。
柔らかいベッドの中に包まって
感じるのは、握られた手の温かさ。
傍に居てくれる大事な人の存在。



あたしだけの恋人。
あたしだけにしかこんなに優しくなくて。
あたしにしかこんな意地悪はしない。
何でもお見通しで。頼りになって。
つい、甘えてしまうの。

そして、甘やかされるの。
誰よりも。甘く甘く。
あたしが寂しがってることも。
頑張りすぎちゃうことも。


そういうのさえ、全て包んでくれる。


そのままのあたしを愛してくれる人。



あたしの前でだけ
とてもとても・・・素敵でいてくれて。



手が届かないと思うくらい特別なの侑人さんは。
他の誰よりも。そんな侑人さんが
あたしのことを好きでいてくれてとても嬉しい。



お薬よりも効くのは
大好きな人のキス。



大好きな人からもらう愛情。
愛されてる実感。
独占させてくれるその優しさ。
慈しんでくれるその視線。
包んでくれる手のぬくもり。



(大好きだよ、侑人さん)




侑人さんがしっかり
手を握っててくれるから。


きっと目覚めたときも
傍にいてくれる。


その安心感があるから、
もったいないなって想っても眠れるの。
きっと目が覚めたら
侑人さんがキスしてくれたところから
全ての痛みがなくなっているはず。




(特効薬だもん・・・・侑人さんのキスは)



思わずこの幸せに
頬が緩むのがわかる。


遠のいていく頭痛と
身体のだるさに任せて。

ふんわりとしてきた
手のぬくもりを感じながら
あたしは夢の世界へ落ちた。






















***** 密やかな夜 Fin.**********
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