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氷の海のガレオン  10/24/2007  
氷の海のガレオン氷の海のガレオン
(1994/10)
木地 雅映子

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『氷の海のガレオン』 木地雅映子


衝撃的だった。

伝説の作家のデビュー作。
ある人達にとっては特別な作品になるタイプの作品。
13年前に発表され、群像新人文学賞を獲ったものの、
それから1冊も発表していない木地雅映子のデビュー作。

いや、「発表していなかった」と過去形で語るべきか。

最近、木地雅映子の最新作にして2作目、『悦楽の園』が
発表された。まさに13年ぶりの新作。
11月号の『ダ・ヴィンチ』で紹介文が載っていたのを読み、
俄然読んでみたくなり、図書館で借りてきた。
この本、書庫所蔵になっていてビックリした。
ま、13年も書いていなかった作家の作品だから、
殆ど読み手もいなかっただろうし、書庫にあっただけでも良かった。

「ダ・ヴィンチ」をチェックしてなかったら
絶対に巡りあわなかっただろう本。
ましてや、読書ブログをつけてなかったら、
本に対するアンテナがここまで伸びてなかったと思う。
巡りあえた偶然とタイミングに感謝。

『氷の海のガレオン』の物語は、平たく言えば、
「早熟な思春期をおくる少女の葛藤」(ダヴィンチ曰く)。
確かにそう、そんな物語。
ただ、“葛藤”という言葉だけでは表すことが出来ない、
そして交じり合う地点が見えない、
自分と取り巻く世界と、自分の感覚世界との齟齬の狭間にいる
少女、杉子と、そしてその家族の物語。

「普通」ってなんだ?
「友だち」ってどういう定義で使ってるの?

杉子は、自分を取り巻く“社会”から自分が逸脱していることを
感じている。感じてはいるけれども、そちらには近寄れず、
そしてそこからはじかれていることを感じ、疎外感を感じながらも、
抗って生きるしかない自分自身を知っている。
ヒリヒリするような鋭利な感覚でもって、世界を認知している
杉子の視点から描かれる、この、私も属している“社会”は
色んなカモフラージュや、「決まりごと」がある。
杉子はそこに馴れ合うことをするくらいなら、
「死」だと思っている。

思春期独特の逸脱した無意識の世界観や、あの混沌とした世界を
見せられ、そして、そこには容赦ない厳しさがある。
通過儀礼、だけでは語れない。
繊細でかつ豊かな世界を保つ自分自身の強さを、
まだ11歳の杉子はもち続けようと世界に対して宣戦布告をして
その決意は潔く、後悔や偽りという文字はない。
しかし、自分の言葉自体が周りの“社会”とは違うことで
自分自身が何者にも届かないかもしれないという不安と
理解されない苦しみをも同時に抱えている。

他人と違うことを恐れるな。
馴れ合うことが嫌ならば、生き延びて自分で自分を守れ。

自分の感覚ぐらい自分で守れ、と、どこかの詩人は言った。
この言葉がしっかりとはまるほど、杉子の生き方は強いけど、
同時にもろく、“あちら側”の世界に引き込まれていく不安定さがある。

こんな物語が書けるなんて、この感性を描けるなんて、
著者こそ、多分“杉子”自身なんだと思う。
こんな作品、初めて読んだ。と思うほどの衝撃だった。
こんな作品を描ける作家がいるという驚きと共に
心から感じた個人的なこと。

それは、かつて「少し変わった子」として生きていた自分が、
いつの間にかこちら側の世界、“社会”に取り込まれていること。
その取り込まれたことさえ気が付かずに生きていることを知った。
抗うことさえ昔のような。自分と切り離して、単なる物語で読める、
そんな作品ではなかった。失ったもの、自分の感性を呆然と思い、
そして、自分が既に失われていた、という事実に震えた。

既にハードカバーでは絶版の作品。
2年前に文庫化されたらしいので探してみようと思う。
是非、手元におきたい作品。
先日自殺した二階堂奥歯の作品『八本脚の蝶』でも
この『氷の海のガレオン』が出てくるらしい。
二階堂奥歯のバイブルだったとか。
『八本脚の蝶』も読んでみよう。



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