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その日の前に  11/09/2007  
その日のまえにその日のまえに
(2005/08/05)
重松 清

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『その日の前に』 重松清

読書ブログをつけるようになってから、
妙に重松清の作品をよく読んでいる気がする。
これまでは手をつけなかったんだけど、一度手を出したら、
あれも名作っていわれてるよな~と思い出して借りてきてしまう。
そして、読み終わったあと、やっぱり読んでよかったと思う。

「その日」とは、ずばり、死んでしまう、その日のこと。

ゆるく繋がった短編集になっている。

『ひこうき雲』小学生のころ、入院した同級生の女の子を訪ねる話。
『朝日のあたる家』夫が突然死してしまって久しい教師の話。
『潮騒』癌だと告知された日に、男は少年時代の友達を訪ねる。
『ヒア・カムズ・ザ・サン』母子家庭の二人暮しを病魔が襲う。
『その日のまえに』病魔におかされた妻と新婚時代を過ごした街を訪れる。
『その日』妻が召されてしまう、その日のこと。
『その日のあとで』妻が亡くなった3ヵ月後、残された家族の物語。

メインは、後半の3編の家族。「その日」を迎える家族の話に、
それまでの話に出てきた主人公や、その家族がちらりと姿を見せる。

自分が一番印象に残った話は、『ヒア・カムズ・ザ・サン』と、
『その日のあとで』である。

前者の方は、母子家庭で母親が癌かもしれないと怯える息子が、
母の存在について思うシーン。

・・・・・・・・・・

それほど母ちゃんに期待しているわけではないけど、
でも、とにかく、母ちゃんは「いる」からこそ意味がある。
いてくれないと困る。なにがどう困るのか予想もつかないぐらい困る。
いてほしい、絶対に。これからも。

・・・・・・・・・・・

大事な家族が、もし病気でいなくなってしまう、「その日」を
自分の目の前で迎えてしまうかもしれないっていう恐怖や、その困惑ぶりや
恐れが率直に表されてる文で、この表現がすごく心に残った。
ただ「いる」だけでいい存在、それが家族なり、自分の大事な人なんだと思う。

自分は病気をして、一時は命の危険もあって、
それで両親や家族をひどく不安にさせたことがある。
親よりも早く逝ってしまう子供というのは、どれだけ親不孝なことか。
死を、自分の気持ちや都合だけでは止めようがないように、
自分が親よりも先に「その日」を迎える可能性だって、
なきにしもあらずであることを、知っている。
自分がいなくなることを、誰よりも恐れている人たちがいることを
知っている。しかし、知っているからといって、「その日」を迎えることを
避けることができない場合もある。
悲しいけれど、これは真実だ。

多くの場合、人は誰か大切な人が自分よりも先に、
「その日」を迎えることを生きているうちに、何度も経験することになる。
避けても避けられないものだからこそ、「その日」を直視することを
誰もが、時には考えることすら、嫌がるのだけど、
この本を読んで、「その日」を迎えるまでのカウントダウンや、
そして、「その日」がどれほど日常の生活と同じように存在しているかと
改めて考えることができた。

けして、どういう風に「その日」を迎えるべきか、などといった、
そういう類の話が載っているわけではない。
短編での主人公たちは、戸惑いながら、そして恐怖におののきながら、
悲しみつつも、死と生が同居した日常を送っている。
「生きる」ということは、「死ぬ」とはどういうことなのか。
そして、それが自分自身だけのことじゃなく、周りの人間に対して、
どのように関わってくるのかを、見事に描き出した作品だと思う。

最後の『その日のあとで』を読むと、『その日』よりも、
胸に差し迫る悲しみで、ものすごく泣いてしまった。
けして、「その日」で終わりなわけじゃなくて、生きている限り、
その次の日も、そしてその次の日もある。
けして、「その日」ですべてが消えるわけじゃない。

その短編の中では、ダイレクトメールがその象徴だ。
亡き妻、和美がいなくなった後も、彼女宛にダイレクトメールが送られてくる。
そのメールを子供の一人は受け取り手の母がいない不在感で嫌がり、
もう一人は、まだ母の存在を確認することができると素直に喜ぶ。
どれだけ「その日」を迎える準備をしても、自分の身の回りのことだけじゃなく、
社会のどこかに組み込まれた、存在の証というのが残っているものだ。

そんなダイレクトメールだけのことじゃなく、
一番最後の短編が、私たちに教えてくれるのは
だんだんと、亡くなった人の面影が薄れようとも、
「その日」が遠くなろうとも、
それでも、その人が生きていた証は、その生命のきらめきのようなものは、
思い出として、関わってきた人間すべての心の中にあり続けるものだ。

観念的なことだけじゃなくて。
誰かの『死』を考えたり、反対に、自分の『死』を考えたり、
そんなことって、あんまり日常生活ではないんだけど、
こんな本とか読むと、無性に泣けるし、そして辛い気持ちと一緒に、
ちゃんと生きれる分だけ生きていこうって思うんだよね。
「死んだ人もいるけど自分は生きているから」って理由じゃなくて、
ただ、たんに「その日」が訪れるまでの間、猶予期間のように生きている
毎日をもっと、きちんと感じていこう、というか。
生きているだけでいい、なんて簡単に言えないほど、実は生きることは難しいし
辛いことも多く含んでいるのはわかっている。
それでも、今自分が生きてるって、本当に大事なことなんだなぁと思う。

生きているってことを、ただただ丸々受け入れて肯定するのは
自分にとっては難しいことだけども。
いつか必ず「その日」が訪れるから、それまでの間、
できるだけ、きちんと生きていたいな、と思った。

拙い文章ではあるんだけど、今の正直な気持ち。
この本って、こんな拙い文章で表すことは難しい本で、
もっともっとすごい本なんだけど、まだ自分はこの本をきちんと消化して
そして、それを自分の言葉で表すのは難しい、みたい。

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青い鳥  10/14/2007  
青い鳥青い鳥
(2007/07)
重松 清

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『青い鳥』 重松清

先日の『きみの友だち』が良かったので、
すぐさま、重松作品の学校ものを借りてきた。
『青い鳥』は装丁がステキ。
黒に青い鳥かごが描かれてて、
そこに住んでいる鳥は入り口が開けられてて
籠にはいない。
副題のように、青い鳥かごの下に英字がある。

My teacher cannot speak well.
So when he speaks,
he says something important.

私の先生は上手く喋れない。
だから、彼が話す時は、なにか大事なことを言う。

この作品は、国語の非常勤講師、村内先生にまつわる、
子供たちの物語だ。主人公の子供たちは何かしら
学校生活や生き辛さを抱えてて、苦しんでいる。
村内先生は、そんな子供の傍にいるのが仕事、という。
苦しんでいる子供のところへ行き、
その子の傍にいる。出会えたことを「間に合った」という。

先生は吃音で上手く喋ることが出来ない。
「カ」行、「タ」行が特にダメで、国語の先生だけど、
授業もつっかえながらで頑張っている。
そんな先生だけど、ある学校では、
「村内先生は特別な先生なんだよ」といわれてる。

連作短編を通して、村内先生はいろんな学校で
いろんな生徒に出会う。
場面寡黙症で学校では上手く喋れなくハンカチを手放せない子。
前担任をナイフで刺し、そしてカエルを殺さずにはすまない子。
交通事故を起こした加害者の子供で、罪悪感に苦しんでいる子。
いじめで自殺した生徒のいた教室。
先生いじめをしなければ学校にいられない子。
父親が自殺したことを止められなかったと苦しんでいる子。
中高一貫教育の学校から外の世界へ出たがってる子。
そして、かつて虐待で非行に走った時に村内先生に出会った
かつての生徒。

この作品を読んで、子供が本当に誰かを必要にしている時に
いてくれる先生って、自分は出会ったことがなかったけど、
村内先生のように、存在しているって嬉しいことだと思った。
どの作品を読んでも、その主人公の子供の苦しさで
息苦しくなったし、村内先生に出会って、少しづつ
心が楽になっていって変わっていくのは感動した。

連作短編なんだけど、一番心に残ったのは、
一番最後の『カッコウの卵』である。
カッコウは卵を自分では育てない。
モズやホオジロの巣に産み、自分は知らん顔をして、
他の鳥に自分の子供を育てさせる。
この短編の主人公は、親から愛されず育った子だ。
最初は児童福祉施設で育ち、その後実父に引き取られたが、
再婚先で虐待や放任をうけ、中学生では非行に走っていた主人公。
そんな主人公の傍に村内先生はいて、不良少年だった主人公の
下の名前で呼んでくれた。
卒業後、傷害事件を起こしたり、色々あったが、
今はまっとうに働いている主人公が村内先生を
偶然に仕事帰り、みかけるところから話しが始まる。

この作品だけは、主人公が学生として村内先生に出会う話ではなく、
かつて先生と関ったことがある子供が大人になってからの話。
大人になってからだからこそわかる、先生が自分にしてくれたこと。
そして、先生に出会わなければ「間に合わなかった」自分のこと。
先生と出会って、そしてそれから何かを学び、
今現在生きていること。村内先生と出会った子供たちが、
その後大人になってから、の話だから、先生に対しての思いが違う。
この『カッコウの卵』を読み返すと、
なんだか、とても哀しくて泣くし、そして主人公が出会う、
あたらしい幸せの形にまた嬉しくなって、泣いてしまう。
先生と出会っている『今』の話じゃなく、かつて傍にいてくれて、
心の励ましになった先生に再会するからこそ、
しみじみと感じる思いがある。

あたしは、これまで職業として教師になりたい、と
思ったことは一度もない。憧れることもなく、
どちらかというと嫌悪している節がある。
でも、最近重松作品を読む縁があって、
こんな村内先生の本を読むと、教師って仕事は、
本当はとても教師自身にとっても、やりがいがある仕事で、
色んな人生を見て、そして、関っていくわけで、
大変な仕事だけど、とても大事な仕事だと思う。
色んな子どもがいて、そして、苦しんでいる子がいて、
その時に傍にいる、って、ただただ簡単に思えることではあるけど、
実はとても力になっていて。

この作品、読んでよかった。
泣けるから、じゃなくて、色んな子どもがいて、
それぞれ問題を抱えながらも、一生懸命生きていて。
そんな子供のサポートで、傍にいることの大事さを教えてくれる
村内先生や、吃音で上手く喋れないからこそ、大事なこと、
大切なことを一生懸命話す気持ち。
人間がもつ温かいものが沢山詰まっている。



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きみの友だち  10/10/2007  
きみの友だちきみの友だち
(2005/10/20)
重松 清

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『きみの友だち』重松清

重松清さんの作品を読んだのは、これが初めて。
実は、これまで避けて通ってきた、ような・・・。
多分肌に合わないだろう、と勝手に解釈していたからか。
思春期の子供の話とか、”温かい目線で”といわれると、
なぜかひいてしまっていた。
『ビタミンF』とか『ポケットにナイフをしのばせて』とか、
文庫本で買ったことはあったけど、多分積んだまま行方不明。

今回、この作品を手に取ったのは、実は読書ブログのお陰。
自分でブログを書きながら、沢山呼んでいる読書関係ブログを
ネットサーフィンしているうちに、この作品のレビューが目に留まった。
『きみの友だち』に感動しました、ってレビューより、
友情について考えさせられた、というのを読んで、
(一度ぐらい読んでみるか)と気が向いた。

彼の作品『疾走』は、友だちが大絶賛していたのだけど、
なぜか手に取れないまま。
勧められた本でも、自分の中のバイオグラフというか、
気が向かないと、読む気がしない。
いやいや読むぐらいだったら、「出会う」まで待つ、というのが
あたしのやり方。

『きみの友だち』のなかには、色んな子が主人公で連作短編になってる。
キーになっているのは、足を悪くした松葉杖の恵美とその弟の文彦、通称ブン。
小学生の恵美が、足を悪くして、松葉杖になり、
そして同級生の由香、腎臓を患っている、と友だちになるところから
話しが始まる。以後、恵美と由香の二人の同級生が主人公になる話と、
恵美の弟ブンと、その友だちのモトを中心とした同級生の話が交互に入っている。

恵美と由香が知り合い、ブンとモトが知り合い、
そして仲良くなっていく間、周りの同級生も、「ともだち」について
色々揉め事があったり、付き合いがあったり、いろんな事がある。

この作品で主人公になっている子達は、みんな特別な子ではなくて、
悩みもあるし、そして対人関係で悩んでいたり、上手くいかないと
立ちふさがっている子ばかりだった。

仲間はずれになりたくなくて、カメレオンのように息を潜めて顔色を
伺っている子。恋人ができた友達においていかれて、孤独を味わっている子。
苛められていた過去を必死で隠して、新しい環境で周りと上手くやっていこうと
空回りだけど頑張っている子。色んなことに才能ある友だちが、やがて一番の友だちを
みつけて、自分から離れてしまったことを気づきながら、友だちでいたいと頑張る子。

そんな一人一人の気持が伝わってきて、読みながら
人間一人一人、それぞれ悩んだり、周りの関係を考えたりするんだ、と
当たり前のことに気づかされた。

この作品を最後まで読んで、自分では思ってもいなかったけど、
号泣してしまった。特に最後の話を読みながら、
自分のことのように感じられて、友だちに対する想い、
というのに心を打たれてしまった。

恵美が写真を撮るようになったキッカケ、
そして今でも恵美が由香のことを思っていること。

友だちってなんだろう。
気軽に「友だち」って言いあっているけど、本当のところ、
「友だち」ってどういうものなんだろう。
恵美と由香、二人の仲がとても羨ましかった。
羨ましかったけど、哀しかった。
ブンとモトの仲は、微笑ましかった。
微笑ましい分、これから先、道が分かれてしまった後の
「ともだち」について考えさせられた。

自分が相手を大事に想うように、相手も同じぐらい大事に思って欲しい。
そう、恋愛だけじゃなく、友情に対してもそう思うけど、
なかなかそうはいかないことも多い。
結局は、『出会い』なんだよ、と言ってしまえば終わりなんだけど、
でも全ての出会いから、本当に心を許せて、良いところも悪いところも
好きでいられる友達って少ないと想う。

今出会っている人たちを大事にしようと想った。

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